愛に対象はない

 

 あなたがたも聞いている通り、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし私は言っておく。悪人に手向かってはいけない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたの下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。誰かが一ミリオン行くように強いるなら、一緒にニミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。あなたから借りようとする者に、背を向けてはならない。


 マタイによる福音書の、有名な一節です。とりわけ、「誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」は、キリスト教徒でなくても、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。かくいう私も、子供の頃にこの言葉と出合い、そんなの無理でしょ、反撃するでしょ、と思ったものです。と同時に、キリスト教徒って戦争しまくってるじゃん、オー・マイ・ゴッドとか言ってるけど、誰も「教え」を守ってないじゃん、とも思いました。そして、こういう美しい言葉は教会の中だけのもので、一歩教会の外に出れば、「殴られる前に殴れ!」「やられたらやり返せ!」と、人殺しも厭わなくなるのだなと、子供心に、ぞっとしたものです。


 島国ジャパンの小学生、林(日向)少年の目には、そんなキリスト教徒の矛盾した生き方が大変異常に映ったわけです。が、しかし、あれから幾星霜、今や中年となり、理想と現実の折り合いをつけることをそれなりに学んだ私の目にも、彼等が信じる言葉と為すことの恐るべきギャップは、やはり、相変わらず異常に見えます。いや、むしろその異常さが増幅して感じられるほどです。


 これはどういうことか? 思うに彼等キリスト教徒の大部分は、言わば「キリスト教」教徒であり、非宗教的な人たちなのではないか。彼等の謳う愛は、自分と、そのごく近親的な同類に限定的に向けられたものではないか。マタイ福音書の言葉は、彼等にとって、吹きすぎる心地よい風、一服の清涼剤に過ぎないのではあるまいか。だとすれば、ロシアのウクライナ侵攻は起こるべくして起きた悲劇で、この先も傷口は塞ぐどころか、爛れ、裂け、広がる一方になるのではないか。


 ほとんどのキリスト教徒は非宗教的だと言いましたが、では、宗教的である、とはどのようであることなのか。インドの賢者、J.クリシュナムルティは、子供達と、そして、子供達の教師に向けてこんなふうに話しています。



「宗教的であるとはどのようなことか、知っていますか。寺院の鐘は遠くで素敵な音がしますが、それとは関わりがないし、また礼拝や宗教家の儀式やその他の無意味な儀礼とも関わりがありません。宗教的であるとは、真実に対して敏感であることなのです。君のすべてがーー身も心も頭もーー美しさと醜さ、杭につながれたロバ、この街の貧しさと不潔さ、笑いと涙、まわりのあらゆるものに敏感です。存在全体へのこの敏感さから、善や愛が溢れます。そして、この敏感さなしでは、才能があり、立派に着飾り、高価な車に乗り、周到にきれいにしようとも、美しさはないのです。愛はとてつもないものでしょう。自分のことを考えているなら、愛せません。それは、誰か他の人のことを考えなくてはならない、ということではないのです。愛は在り、それに対象はありません。愛する心は真実、真理、神の動きのなかにあるため、本当は宗教的な心です。そして、美しさとは何かを知りうるのはそのような心だけなのです。どんな哲学にも囚われず、どんな制度や信念にも閉ざされず、自分の野心にも駆り立てられず、したがって敏感で鋭く、見つめている心ーーそのような心には美しさがあるのです」

(「子供たちとの対話」平河出版社)



「愛に対象はない」というのは、真実だと思います。逆説的な言い方になりますが、本当に何かを、誰かを、「愛している」人はほとんどいない、ということです。勿論、自分自身も含めて。


 さて、多くのウクライナ人が国を去る中、「私はどこにも行かない。ここが私の家だ」と言って、家族と別れ、一人ウクライナに残った老婆がいます。多くの人は思うでしょう。敵は近づいている。残れば殺されるのを待つだけだ、と。老婆の真意は分かりませんが、少なくとも彼女は殺されるのを待っているわけではないでしょう。彼女は自分の居るべき場所に、ただ居るのです。それは危険な行為である以前に、全く自然な行為なのです。クリシュナムルティは同じ本の中でこんなことも言っています。ユリの花は、ただそこに咲いている。何ものとも争わず、ただ在るばかりである。在ること、そのことの美しさが、ユリに表れているのだ。


 森の中を歩くと、木々や草花は本当にそこに在ります。「彼等」は、伐り倒されるために、そこに在るのではありません。また、いずれ伐り倒される運命にあるとしても、自ら枯れることもありません。そんな当たり前が一つ一つ重なり合って森林世界をかたどっているのです。


 森の中にいると本当に気持ちがいい。枯れ葉一つ、愛しく、思えます。



 ただ在ることの、美しさよ。





ガテマラ中深煎り。美味しそうですね~

1647085926753.jpg

この記事へのトラックバック